しかし、そもそも夢分析とは何なのでしょう。
なぜ私は夢分析を学んだのでしょう?
3、4回目はそのあたりに触れようと思います。

私が夢に興味を持ったのは…遡れば小学生の頃です。

生まれは千葉市なのですが、その後転勤族の父に振り回されて海外も含めて何回も引っ越しした幼少期。
言葉を覚える時期にフランスにいたので、私はフランスと日本語がちゃんぽん、たまに英語も混じるという、謎の言語をしゃべる子供でした。3カ国語を操るトリリンガルではなく、どの言語もまともにしゃべれなかったのです。
いえ、正確にはフランスにいた時はフランス語を話していました。両親より上手だったとか。
しかしたまに訪ねてくるおばあちゃんが
「孫が日本語を忘れてはいけない!」
という使命感に突き動かされて持参した森進一のテープ(「襟裳岬」とか)を昼夜聞かせたため、すっかり混乱。
また日本に帰国してから方言の強い地域にいたこともあって、日本語も標準語と方言の狭間におちいって大混乱。
しゃべれば3カ国語と方言がぐちゃぐちゃだし、幼稚園も小学校も
英語はまだしもフランス語を理解してくれる先生がいなかったのでフランス語をしゃべると怒られるし、周囲の子ども達は方言ばりばりでついていけないし…。
私は何をしゃべるにも「この言い方でいいのかなあ」と考え込む、おどおどした性格になっていました。
よそもので、謎の言葉をしゃべる、どんくさい奴…
行き着く先は小学校での2年間にわたる陰湿ないじめです。
 
今なら
「よし、不登校になって大検に受かろう☆」
と思えるかもしれませんが、当時は泣く泣く通学するより選択肢がなく(本当に泣きながら登下校)、休み時間は図書室に隠れ、そこまでしてもいじめっ子達は追いかけてきて…。
当時の「保護者手帳」という担任と母親の交換日記のようなものが残っているのですが、普通は「保護者手帳って何?」というくらい使わない物のはずが、うちだけ何巻にも渡る大長編(お母さん、先生は心配してくれていたんですね。ありがとう…)。
小学校1、2年は辛すぎて、記憶があまりありません。
当時から「これはちょっと異常なのでははないかしら…」
と感じていたのですが、起こることが辛くて覚えていられないのです。
子どもが死について考えないなんて嘘で、考えるのは楽になる方法ばかりでした。でも一方で「なんで私はいろいろなことを覚えていられなくなってしまったんだろう」と、「心のしくみ」について漠然と興味を持ちました。
またとにかく起きていろいろと感じるのが辛かったので寝ていることだけが幸せなため、睡眠や夢にも並々ならぬ関心がありました。
夢は悪夢が多かったですが、怖いけれど不思議と安らぐ感じもあり、また夢の中で寝ていることも多々ありました。
悪夢の雰囲気が、大好きな江戸川乱歩の探偵小説っぽいのも面白いと感じていました。
 
話すと長くなるしんどい小学校低学年時代でしたが、中学年になってからは「そこそこ勉強ができる」ということで、急にいじめられなくなり(ま、できるといってもそこそこですが…)、学校嫌いはついに払拭できないもののなんとか中学・高校・大学と進みました。
そして、あれやこれやに挫折しつつ辿り着いた医療系のライターの仕事をしていた時、ある方から
「夢分析の第一人者、坂内慶子先生の講座に空席があるんですよ。もうお年で、あと何回講座ができるか分からないのに」
というお話を聞きました。
え、そんな人がいるんだ!!
詳しく知りたい!!
 
医療系ライターをしていたくらいですからカウンセリングの取材も多く、フロイトやユング、そして河合隼雄は熟読していました。
心理療法以外でも東洋医学の先生が問診で夢を聞くことがあったりするし(心身の状態を夢で知る)、古代ギリシャやネイティブアメリカンが夢を治療に使っていたという話も聞いています。
取材においては似非科学になりかねない危険性がある分野だということは理解していましたが、フロイトもユングも、いわゆる医学の範疇では治らない人がいるから心の研究をはじめたのです。
子どもの時から興味がある夢や心の世界!  仕事にも役立つ!
しかもその第一人者の先生がもうすぐ死んでしまう!!
 

その日のうちに講座に申し込みました。2009年のことです。
よくよく考えてみたら誰も「坂内先生が死にそう」なんて言っておらず、先生は10年立った今もお元気ですが…(笑)
とにもかくにも、私は前のめり気味に講座の門を叩いたのでした。

続く